横須賀線、逗子・小坪トンネルはミステリー・ゾーンで有名だそうです。
つまりよく「出る」らしい、なにが、・・幽霊ですよ。なぜならば、そのトンネルの上の山には、火葬場があるからです。
これが通称『小坪の火葬場』といわれて、鎌倉市、逗子市、葉山町の火葬を一手に受け持っています。
火葬場の正式名称は、株式会社誠行社と言い、東京以外の他県では珍しい民営の火葬場で、鎌倉でも「名物おばさん」が経営者として仕切っています。
毎日「現場」の責任者として、いつも和装で真っ白な割烹着姿。髪は大正ロマンをほうふつとさせる玉ねぎ(ごめんなさい。へアスタイル名称がわかりませんので・・)のようで、恰幅の良さと合わせて、どう見ても老舗料亭の女将さんのようでもあります。
おばさん社長は毎日、その山の上の小さな火葬場の中で、荼毘にこられた遺族の方々に接し、自ら休憩室のお茶の準備などで走り回っておられます。
山上の火葬場にはいろいろいなエピソードがあります。
中でも鎌倉在住の文豪や文化人の多くは、ここで荼毘に付されました。
思いつくだけでも、高浜虚子、川端康成、大佛次郎、立原正秋、小林秀雄、等々、また画壇においては伊東深水、前田青邨、小倉遊亀等々、いずれも時代を象徴するそうそうたる大御所です。
その方々の「ほんとうの最期」にかかわった人物として、このおばさん社長もその一人かも知れません。
周りから「鎌倉のお母っかさん」と言われるのは、このような由緒だけではなく、もっと市井に埋もれた中で、悲嘆や苦悩する遺族に、情愛を持って接してこられたからだと思います。
これまで数多くの引き取り手のないご遺体やいろいろな事情を重ね合わせて、その荼毘に立ち会うことのむなしさや、若い夫の遺骨を抱きながら呆然とする家族の悲しみの姿など、幾多の悲嘆きわまる現場があったことでしょう。
本来私たちが葬儀で一番刺激を受けるのが、火葬炉の扉の前だそうです。
ところによっては時間から時間へ無機的に機能しているような施設ではありますが、そうすることでもないと、あまりにもあわれな情景の現場は乗り越えられません。
幾多の涙が積み重ねられたことでしょう。職員や火葬技師たちは淡々と業務をこなしているように見えますが、そういう中で仕事をしていると思います。
株式会社誠行社の社史本には、おばさん社長の詩もあり、そのような厳し現場からにじみ出る心の温かさを感じることができます。
身寄りなき柩横たう霊安室の暗きにともるローソクの炎
手荷物の如く持ち去る縁者なれば現世よほどの極道ならむ
(株式会社誠行社90年史から抜粋)
出稿:日本葬祭アカデミー教務研究室 二村祐輔 ※無断転写禁ず