余命宣告や延命治療についての自分の意思表明は、元気な時にこそまわりの人たちと話し合っておかなければなりません。
中には終末医療についての希望を公正証書にする人もいますが、おひとりさまで任意で後見人を委託しているような場合は必要かもしれません。
普通は、身近な人(配偶者・子供など)に介護や看護を委ねるので、その思いを伝えておく必要があります。
最近では、老人ホームの入居の際に、本人や身内にそのような意思表明書をあらかじめ預けておくこともあります。
またエンディングノートなどを利用して、「万が一のとき」などの項目において、自分はどうしてもらいたいかをメモしておくとよいでしょう。
そこに署名や日付、また捺印などがあればそれを医療者に見せることで、本人と周りの者たちの気持ちは伝わります。
あまり大げさな「証書」にする必要はありません。
ただ、その場の医師の判断もありますので、十分担当医との話、病状の見込みなどについても話をしておく必要があります。
多くの人は、経管栄養の摂取や人工心肺などの器具装着について、それを一つの境としているようです。
そのような観点からみると、「尊厳死」は自分の意思で決めたように死が迎えられるのならそれをさして「尊厳」といえるのかもしれません。曖昧といえば曖昧です。
一方で、「安楽死」という言葉もあります。
これにはいろいろな議論が伴うことですが、一言でいうならば「苦痛からの解放を目的とした死」ということになります。
尊厳死と異なるのは、延命治療で回復に見込のない場合において、苦痛を取り除くがために死期を早めてしまうことを、積極的にできるかどうか、もう一つは本人の強い意志から、その判断に添って苦痛なき死へ導く処置ができるかどうかです。
日本の判例では横浜地裁の東海大学安楽死事件に対する判決1995年に出されました。
1 患者に耐えがたい激しい肉体的苦痛があること
2 患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
3 患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、代替手段がないこと
4 患者自身による、安楽死を望む意思表示があること
の4要件を満たせば、違法ではないとされましたが、裁判になること自体で、これまで認められた例はありません。
積極的安楽死に対して尊厳死は消極的安楽死といわれています。
出稿:日本葬祭アカデミー教務研究室 二村祐輔 ※無断転写禁ず