10年以上昔の話ですが、石川県金沢市で香典詐欺事件がありました。
何者かが会葬者を装い、受付に香典を差し出してその場でいただける会葬御礼品や香典返し品を持ち帰った、というものでした。
差し出したお香典には、何も入っていないのではなく、実は5円玉などがテープで貼り付けてあったということです。
同じようなものが、周辺地域のあちらこちらお葬式でみられ、これはどうやら、いわゆる香典返しを目的とした詐欺事件であるということで捜査の対象になったようです。
またニュースやワイドショーの話題となり、警察の捜査から、犯人は程なく逮捕されました。
お香典は額ではなく「気持ち」。そのお返しについても特に要求したわけではないという言い訳をしていたようでしたが、この教訓から、お香典とは何か?をその慣習の本質や現代的な実務的について、あらためて知っておくべきです。
ひとつはお香典の意味や意義が忘れ去られ、これが多分に形骸化しているのではないかという素朴な疑問があります。
ただしこれも過去からの連鎖がありますので、簡単に虚礼だから廃止、というわけにはいきません。
葬送儀礼とは異なるもう一つの贈答儀礼が絡んでいます。
地域によっては「生活改善運動」、「新生活運動」などと称して、一律の金額(200円とか、500円とか少額の形だけ)をお香典として決めてしまうような地域啓発もなされました。
さすがにこの合理性だけでは、義理張りの割り切りができませんので、下火になったところの方が多いのも現状です。
本来、香典とはその葬送儀礼を全うさせるための共助として、米や餅、または労働の提供などの相互扶助。
お返しを要するものではなかったのですが、お葬式施行が地域共同体から、葬儀社など商業的に進められていくプロセスで、「贈答ギフト」化していきました。
中には品物より合理的ということで、そのお返しが一律の商品券化(金券)されたところもあります。
事件の背景は、それを「5円」で引き換え、毎回数カ所巡っていたというのが発端でした。
形骸化と漫然とした慣例にもう少し注意を払わなければなりません。
また、私たちも、弔問や会葬に対する「お礼」と、頂いたお香典に対する「お返し」はまったく別のものであるという区別もつきにくくなってしまい、これらの混同がこの事件の背景にあります。また何よりも、香典返しが商品券などの金券になっている安易性にも問題がありました。
さて、そのお香典は、会葬の時に差し出すもの。最近では圧倒的に通夜に出すことが多いようです。
もし翌日も会葬、お見送りなどに行かれる場合は、記帳のみされると良いでしょう。
また最近ではお香典の授受を固辞するというケースもあります。
それも故人や葬家の意向ならば、それに従うべきですが、「義理」が果たせないという人もいます。少し考えものですね。
出稿:日本葬祭アカデミー教務研究室 二村祐輔 ※無断転写禁止