春のお彼岸は、旧暦では2月22~24日になります。その後、3月になると、昔の農村では、田の神が里に下りてくるというのでいろいろなお祭りが始まります。
東北地方では神おろし、神迎えの行事の中で、十六団子を供える風習がありました。通例では、神供えは「餅」が多いのですが、ここでは「団子」になっています。
葬儀では、「枕団子」などを死者にお供えする習俗があり、真宗以外の宗派では六道輪廻や十三仏信仰、また四十九日忌を念頭に置いて、その団子の数を六個、十三個、あるいは四十九個などと定めて死者や墓前に供えます。
これは地域風習によってもいろいろな説があるようですが、この時の団子は、一般的に茹でたり、焼いたりしません。
米粉を溶いて丸めただけのもので、これを「しとぎ(粢)」といいます。
日常食べるものではなく、死者の霊魂に対してのもてなしになります。
現代でも国の功労者に対しては、天皇から「祭粢料」の名目で香奠として下賜され、言葉として現存しています。
さて、先の豊作祈願での十六個には、旧暦の事ですから十五日が満月。
その翌日からそろそろ春の稲作準備に取り掛かる意味合いがあります。
節目の翌日を「祭日」として田の神をもてなし、楽しませる祭礼になります。
この田の神というのは、地神、いわゆる先祖神(氏神)です。
団子にする意味合いで考えられるのは、丸めて球状、または円形にするなど、その形を「たましい」に見立てているのではないかという説があります。
また別の説では、稲作以前のお供えが、主に木の実や果物であり、その名残は鏡餅などの上にのせた蜜柑などに見られますが、その形状を丸形にすることで、団子はかってお供えしていた古い時代の名残として、果物をあらわして見立てているのではないかと考察しているものもあります。
このように慶事、弔事に於いても「米」に関連した食物を供えるのは、やはり稲作以降の穀霊信仰に寄るものであり、餅も団子もその形状はともあれ、枕飯(霊供膳)、高盛飯(婚礼や出産)の山盛も、いわば除災でありまた依り代として、その素材としてすでに「穀霊」としての「霊威」を持っていることになります。
私たちは、ひと粒の米粒に対して、きびしくしつけられてきた世代でもありますが、米・餅・団子は、私たちの生命の活力、気力の根源でもあり、またおいしいモノの代表です。
「花より団子」とは、食い意地を揶揄した言葉ではなく、私たちの素朴な信仰心を著したのかもしれませんね。
(参考文献:五来重『葬と供養』1997年東方出版・和歌森太郎編『民俗歳時記』(民俗民芸双書)1997年岩崎美術社)
出稿:日本葬祭アカデミー教務研究室 二村祐輔 ※無断転写禁止