「老人六歌仙」から。
仙厓義梵(せんがいぎぼん)は江戸時代の禅僧(1750年寛延~1837年天保)で、「西の一休」さんと呼ばれた有名な傑僧です。臨済宗に合って禅を極めた高僧のひとりでもあります。
その仙厓禅師は、世俗にもたけていて、そこが一休さんと重なっています。
禅師は時々狂歌をしたためていたようで、その狂歌のひとつに、老いを喝破したものがあります。
『しわがよる、ほくろができる、腰がまがる、頭がはげる、ひげが白くなる。
手は振るう、足はよろつく、歯はぬける、耳はきこえず、目はうとくなる。
身に添うは、頭巾襟巻、杖眼鏡、たんぽ、おんじゃく、しゅびん、孫子手。
聞きたがる、死にとむながる、淋しがる、心はまがる、欲深うなる。
くどくなる、気短になる、ぐちになる、でしゃばりたがる、世話焼きたがる。
またしても、同じ話に子を誉める、達者自慢に人はいやがる。』
まさに、加齢の現実の姿を淡々と語っています。これだけ冷静に自身老いを見つめていわば悟りの境地に達しておられたことと思います。
そうして仙厓禅師は、当時としては長寿の中でも、超高齢の88歳で臨終を迎えられました。
その間際には枕元に大勢の弟子たちが集まり、その死を見守ったと云われています。
息を引き取る直前、末期のお言葉をと求められ、一同が寄り添い集まり、耳を澄ました中で、一言、「死にとうない」といって亡くなられました。
仏教でいう「悟り」も解釈はいろいろありますが、禅師の素直な本性、人のあるべき「欲」を受容した言葉と受け止める人もいます。
生への執着はもっとも本能的な条件反射かもしれませんが、生き抜いた果てにもまだ生きていきたいという思いは、確かにわかる気もします。
尊厳死や延命治療について、生前の意思表明が盛んに勧められています。
余命宣告も昔に比べたら、広くされています。けれどもそれらに耐えうる私たちの理性が、その受け入れを確信をもってできるのかというと、それは死生観の問題でしょう。
超高齢社会では、まず私たちには伝統的な感性としての死生観があるのだ、ということを理解するところで、少しは安堵できると思います。
日本葬祭アカデミー教務研究室 二村祐輔 ※無断転写禁止