◆家族の形が変化をすれば、お葬式やお墓の在り方も大きく変わってきます
家父長制度が廃止になって、いわゆる戦後70年がたちました。
いまだに長男、次男の意識や「嫁に行った娘」などの言い方もなされます。
けれども家督は「遺産相続」のなかで行われ、親の介護も必ずしも「長男の嫁」が義務を負うことではありません。
伝統的な「家族観」は、風土や社会階層、また土着的な文化の変化に応じて様々な形を示していきます。
とくに都市、地方を問わず「核家族」といわれて久しく、それが社会構造の基本的な生活単位のようになっていますが、あらためてその姿を見てみましょう。
「核家族」とは一組の夫婦とその子供という最小の親族集団であり、一つ屋根の下で一緒に生活をしている、ごくありふれた家庭の姿で、「ファミリー」と呼んだ方が現代的にはわかりやすいのかもしれません。
ここには3つの関係性が生まれます。一つは夫婦、つまり夫と妻。もう一つは親と子。そうして子供同士の兄弟(姉妹)という関係性です。
こうしてみると、どの関係性をとってもなかなか従属的な一面性だけで見ることは出来ません。
どちらが偉いか?など戦前では、明確に暗黙の了解がありました。
これらは夫婦や子供が一定の年齢になればなるほど、普遍的ではなくなります。
そこでは、当然ながら「○○家」のお葬式から、「○○さんのお葬式」に変化します。
これはその後の法事にもいえることです。
◆男女同権?で墓別居も自由
夫婦の関係性も大きく変わりました。女性の社会進出はもちろん喜ばしいことですが、実のところは、夫婦で働かないと生活が成り立たない社会で、「主婦」だけしていれば何とかなる時代ではなくなったというのが本質でしょう。
このような社会の中で、「主人の先祖代々のお墓には入りたくない」という奥様もあらわれました。
とくに非情な考えではなく、これからはそういう要望を抱く人も増えるかもしれません。
ある意味では素朴な思いなのかもしれません。これは将来における日本人の死生観が変わり始めた現代的兆しかもしれません。
「家」(一族)から「家族」へ。「夫婦」と「親子」では、「親は親」、「子は子」として干渉が希薄になることが一人前としているなかで、夫婦が「あなたはあなた、私は私」となったとき、それはお墓にあり方にも反映される、当然その後の法事を営むかどうかにもかかわってきます。
葬儀や納骨までは、ある意味条件反射のように対処してしまいますが、問題はその先です。法要や法事といわれる年忌、あるいはお盆お彼岸のように季節行事化している「供養」感が日常の生活の中にもまだ生きています。
最近の霊園で見かける墓碑には、「○○家先祖代々之墓」から、「夢・想い・感謝・希望・・・」等々、いわゆるイメージ言葉が刻印されているものを見かけます。
これも「先祖祭祀」を前提とした供養観が「故人祭祀」に代わってきた表れです。
このように時代とともに葬式も法事も変化していきます。
日本葬祭アカデミー教務研究室 / 二村 祐輔