母の逝去で、あらためてその土地の葬祭慣習に接しました。
葬儀が終了し、山の上にある小さな火葬場へ赴きました。(長野県木曽郡広域組合運営)
本来この地域は、「前火葬」を慣例とする地域で、式次第としては、通夜のあと翌日の午前中に荼毘に付し、遺骨になってからお葬式を行う、つまりこれを「骨葬」といいますが、このようなことがいまだに多く見られる地域です。
最近では都市部で行われている、葬儀後の火葬に変化しています。
これを「後火葬」といいます。それこの葬法は「骨葬」に対してなんというのでしょうか?
この件はまた別の機会に触れましょう。
さて火葬場に着きまして、最期のお別れをし棺を火葬炉の中に納めます。
その時、扉の施錠があり、鍵が「喪主」である私に、うやうやしく手渡されました。
鍵を喪主に預ける?
これはいったいどのような意味があるのでしょうか?
これまで日本の拾骨現況、とりわけ全部収骨して持って帰る地域と、一部分だけを持ち帰る地域と東西の日本でその分布がわかれているなど調査する関係で、いろいろな火葬場を巡りました。
中でも火葬の点火「ボタン」を喪主に押してもらうという「儀式」も少なからずありました。
けれども「扉の鍵」を渡されたのは初めて経験したことです。しかも自分の母の火葬で。
これは推論でしかありませんが、・・・
おそらく「野焼き」の時代、その小屋(火屋)の「管理責任」として、誰か地域の世話役が、その役を担ったのではないかと思われます。
その慣習が近代習俗として、喪主を管理者に見立て、その委託を儀礼的に受け継いだものと思われますがいかがでしょう。
点火ボタンを押す所作は、一つには決別儀礼といえます。
おそらく昔は、口火のついた焚き付けを手渡され、火葬の発端としましたが、このように「鍵」を預かるというのも、たいへん面白い土地の関係でした。
土葬のころには、そんな慣習はあったのでしょうか。
また、この地域では骨壺はありません。木箱の中の布袋に拾骨します。
納骨時には、お墓の下に、遺骨をそのまま撒いてしまいます。そのためカロートの底は土になっています。
まさに「土に還る」というわけです。
こういう慣習は、多くの方のご理解を得やすい伝統な習俗といえるかもしれません。
高い骨壺はこの地域では無用です。
出稿:日本葬祭アカデミー教務研究室 二村祐輔